about Saxophone Improvisation
柳川芳命

かつて自分は、<アバンギャルドであること><フリーであること><即興であること>にこだわりがあった。最近は、もうそんなことはどうでもいいと思っている。しかし、安易に演奏していると、毎回同じようなことを繰り返してしまう。

<アバンギャルトであろう>として、今まで誰も出さなかった音を出して奇を衒うことは、一時的に面白いが、発展性がなければ行き着く先が知れたものになる。サックスは所詮単音のメロディー楽器であり、旋律を無視できない。楽器の機能を拡張することと本質を生かすこととの両面がないといけない。そして、共演者や聴衆と音から得られる快感を共有できなければ、人と共演したり人に聴かせる意味はない。音から受ける快・不快は一般化できるものでないが、大衆の感性を侮ってはいけないとは思っている。

<フリーであること>については、まず、「何からのフリーであるか」を問題にしなければいけない。調性、和音、テンポからフリーになるという程度なら、自分の演奏は十分フリーである。しかし、フリーにやっていても、そのうち自分の形式ができてしまう。そこからフリーになることは難しい。一方、「何をやってもいいのだ」と、既成のスタイルの音楽をコラージュしていくやり方は、どうも好きになれない。それぐらいなら、自分で制約をつくっておいて、その中でそれを打ち破っていくことのほうが、スリリングでフリーになれる。

<即興であること>についても、即興という行為をどのレベルでとらえるかが問題である。楽譜が無いとか、シナリオが無いというレベルで考えれば、確かに自分は即興で演奏している。しかし、自分の過去に出した音をなぞっていることがあるし、その部分部分をつなぎ合わせて演奏していることもある。それは本当の即興ではないと言われば、そのとおりですと答えざるを得ない。しかし、無から有を生み出すことは不可能であって、あらゆる偶然の背後には必ず必然があるはずである。人間のやることに果たして完全なる即興などあるものかどうか…。ただ、「こうなったら、次はこうする」という自分の中でできあがってしまったパターンを自分自身で裏切ることは、演奏中随時行っている。

自分は、あえて言えばフリーインプロビゼーションというカテゴリーの演奏をしているが、自分のスタイルはどんどんできあがってしまうし、自分好みの展開になっていってしまう。これこそワン・アンド・オンリーの「私の演奏」なのだと開き直っても良いが、それを自虐的に破壊しつつ、尚かつ、自分にとって自然な行為の一部としていくこと、このタスクがある以上、「私の演奏」にターミナルはないと思う。(2005年8月)